北の大地のN女史

 北の大地のN女史はクラブのオーナーママ。36歳。

 なぜ、最近北へ行くと素敵な女性に出会うのだろうか。以前、ブログに書いた「仏塔のともちゃん」も北の街のシングルマザーだった。

 N女史は、6歳の実子と高校生の養子を女手一つで育てている。
 三年前に引き取った養子の少年は、女史の友人が産んだ三人の子の一人。その友人はいまどこにいるかわからない。友人が、子どもたちの住所をN女史の住所にしていて(このあたりは詳しく聴いていないので定かではないのですが)、それがきっかけで、児童養護施設から一人を引き取ったそうだ。
 「もう中学生でしたから信頼関係をつくるのが大変でした。こっちに三歳の自分の子を寝かせて添い寝しました。難しかったです」いまでも時々綱渡り、と話をしてくれました。
 その上、女史はクラブで毎晩家に帰りたがらない男たちの愚痴を、時には明け方までお酒を飲みながら聴くのだそうです。男女共同参画社会。(男女共同参画社会は、男女が一緒にオロオロすること。不必要だと宣言することではありません。)すごいなあ。N女史、みかけと雰囲気が熊本の巫女、K園長先生にそっくりだ、と思いながらみとれていました。この人に見捨てられてしまった男のことを思ってしまいました。
 ホステスさんのなかに幼な顔の化粧もほとんどしていない、その日が業界初出勤という二十歳の大学生がいました。九州から流氷の流れ着く土地まで生物の勉強に来ているのでした。
 「冷たい海の岸には鷲がいるんです。九州にはカラスしかいません」と真面目に言うのです。カラオケの持ち歌が2曲で、そのうちの一曲「真夜中のギター」を歌いました。上手ではないのですが、一生懸命、小学一年生のように歌いました。お母さんがいつも歌っている曲だそうです。育ちの良さそうな素朴ないい娘さんでした。
 私は、講演のあとに、こういう女の人がいてお酒を飲むところに幾度か連れて行ってもらったことがあります。23年間に10回くらいで回数は少ないのですが、びっくりするようなすごい女性に出会うことがあります。
 そのひとたちの存在を感じながら生きていけばいいのだ、と思うようにしています。
 

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 N女史のことを思いながら、「子どもでいられることは、ありがたいこと。親でいられることは、救われること」という誰かの言葉をふと思い出しました。
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 2歳の娘をもつ友人が、私に言いました。
 「この前近所の公園に子どもを連れて行ったら、保育園の子どもたちが遊びに来てたの。二歳くらいの子たちだった。さあ帰ろう、となった時、一人の男の子が帰りたくない、って駄々をこねて嫌がった。保育士の中に男性保育士がいたの。怒鳴るのよ、置いてくぞっ!って。その剣幕に、駄々をこねていた子がびっくりしたのか、いやだっ、て男性保育士の足にしがみついたの。そしてらその男性保育士がその子を蹴っ飛ばしたの。しがみついたのを振り払った、って感じかもしれないけど、男の子は転がったわ。びっくりして私は凍りついた。女性保育士たちは見てるだけだった。もし私の子があんなことされたら、飛びついていったと思う」
 私は、しどろもどろに一生懸命説明した。
 まず、なぜ、他の保育士たちが止められなかったかを。つまり、いま、保育士は足りなくて、一人辞めたら次を探すのが大変なこと。保育士の待遇が悪過ぎること。親たちが感謝しない事。そもそも人間社会の「絆」が弱くなっているのが、すべての人間関係を荒くしているんだ。そして、福祉の危険性。福祉が仕事になってしまった時に、心ある、福祉に一番必要なひとたちが現場を去っていっていくこと。説明をしながら、空しかった。その男性保育士を蹴飛ばしに行きたいと思った。
 N女史のことを思うと、なお一層そう感じた。

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