言葉、翻訳、古さ、と次元

 保育という言葉で言い表せない「子育て」。しかし、それは表裏一体のもの。保育の歴史は100年にも満たないのですが、子育ての歴史は二億年?

 最近「社会で子育て」ということが言われます。「社会」という言葉、定義さえ日本という国にはつい150年前までなかった。子育てが醸し出す空気そのものが「社会」だったのかもしれません。よく使われ、そろそろ私たちはそれに縛られている観のある「自由」という言葉も、福沢諭吉が「フリー」「リバティー」という言葉を翻訳する時に悩み抜いて当てはめた仏教用語、すごい翻訳だと思います。欧米のようにはなってはいけない、という無意識の意識さえ感じます。欧米の「自由=フリー、リバティー」は権力闘争の中で使われた、主に特権を意味する言葉だそうです。古代ギリシャの自由人は、20人の奴隷を持って労働から解放されたひと。私はアメリカに30年住んでいて知っています。欧米人の言う自由とは、勝ち取るもの奪い取るもの、奪い返されることを心配するもの。

 「子育て」のある次元とは、古さも存在理由も違う。

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