卒園一ヶ月後の謝恩会

楽しい時間を過ごせたら、心の底から、みんなで何かに向かって感謝する。

卒園一ヶ月後の謝恩会、九年間の義務教育に比べれば大したことではない。法律で決めてしまえばいい。

いえいえ、法律で決めるより、園長先生が決めてしまうのがずっといい。親たちに気持ちが伝わる。この人(園長先生)は、子どもたちの幸せを願っている、卒園した後も願っている……。

その記憶、そして一ヶ月後の謝恩会を思いついた園長先生の「動機」が社会を耕し直し、その願いが、荒れている社会を鎮める。 http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=3526

(以前書いた、ブログです。)

Amazonでは今年正月ジャンル別ですが、人気ギフトランキング1位、ほしいものランキング3位、ジャンル2位です。誰かに送ろう、と思ってくれたことが嬉しい。

少し、痛みを伴う「報告」です。でも、タイトルの「ママがいい!」は、子どもたちから母親に捧げる「勲章」であって、同時に、社会への警鐘なのです。今、何が起こっているか。知ってほしい。政府も、マスコミも、学者も、「母子分離」の正当化に必死です。子どもたちの警鐘に耳を貸さない。このままでは、学校教育が破綻していく。ぜひ、周りの人に勧めてください。

https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20240126b.html :発達障害の子“通級利用に数か月かかる場合も”都内の4割以上 自治体アンケートからみえた“学びの壁”

 

ユーチューブで「松居和チャンネル」始まりました。ぜひ、ご視聴の上、出来ましたらチャンネル登録、高評価、拡散など、お願いいたします。https://youtu.be/56cLD5Fh-Gg?si=tDAAG25dqTLBZXfy

 

「ママがいい!」という宣言の先には、必ず一人の「私」がいる

突然の地震でしたね。石川、新潟、富山、福井は、三十年間、ほんとうに数多く講演してきた地方です。多分併せて100回以上行きました。年配の知り合いも多くて、心配です。

羽咋(はくい)は祖母の故郷で、石川県の保育士の大会で、一泊二日で五時間、講演したところです。

今年も書き続けます。

国の「子育て」に関する政策の意図と、抜き差しならない現場の状況を多くの人々に把握してほしい、知ってほしいのです。

「子ども優先」という、子どもの権利条約や保育指針に書かれている、人間社会の「常識」を日常に取り戻さないと、現場と子どもたちが、ますます追い詰められる。しかし、その常識さえ取り戻せば、方法はいくらでもあるということ。人間が作る「絆」は柔軟かつ多様で、特に「子育てから生まれる絆」は、そのまま自然治癒力となる。社会を「鎮める」効果がある。

0、1、2歳児の「働き」を忘れると、人間が幸せになりたいという気持ちが、空回りして、不幸を生み始めます。欧米先進国における未婚の母の低年齢化の原因に、不幸な家庭に育った少女たちが「温かい家庭」に憧れる、という動機があることを知った時、そう思いました。不幸だからこそ、幸せになりたい。母子家庭も家庭です。子どもを産むことでそれを手に入れようとする。しかし、社会という「仕組み」の最近の歪みは、その心の動きを、新たな危うい現実に導いてしまう。

家庭を持ちたい、という本能は、本来、自然治癒力の一環として働くのですが、子育ては「絆」が支えるものだから、なのです。信頼関係に基づく「絆」をつくることが不得意になってしまった「育ち」が、幼くして母になった少女たちを再び追い詰める。児童虐待の増加に拍車がかかり、一層の家庭崩壊を生んでしまう。

子育ての外注化で生まれた大人たちの心の貧困を、「子どもの貧困」と名づけることも、実は、危うい。母子分離によって、子育てを「社会」の責任にした上で、「社会」の正体を曖昧にし、すでに、あちこちで責任回避が始まっている。いいことをしようとする「いい人たち」の試みが限界に達し、人材と財源が足りなくなってくる。

子どもにとって「社会」の主体は、まず母親です。特に、乳幼児の場合は、そうです。そこを政府が崩そうとすると、補う仕組み同士の辻褄が合わなくなってくる。

「子育て安心プラン」https://www.kantei.go.jp/jp/headline/taikijido/pdf/plan1.pdf(首相官邸ホームページ)に、こうあるのです。

「『M字カーブ』を解消するため、平成30年度から平成34年度末までの5年間で、女性就業率80%に対応できる約32万人分の受け皿整備。(参考)スウェーデンの女性就業率:82.5%(2013)」

子どもを産んだときに生じる女性の就業率の『M字カーブ』を経済にとっての支障と判断し、それを解消するために、いつでも預け先があることを「安心」と名付ける。しかも、政府が「参考」として挙げたスウェーデンでは、三十年以上前から半数以上の子どもが未婚の母から生まれていて、犯罪率は日本の約20倍。参考にすること自体がおかしい。恣意的です。

「女性就業率80%」という目標を掲げる、偽「安心プラン」の背後にいる学者や専門家たち、母子分離で儲けようとする起業家たちは、それによって生じる「子育てに対する親たちの認識の変化」が、いじめや不登校のみならず、犯罪率にまで影響することなど考えもしない。子どもたちの気持ちなど視界に入っていない。こうした政治家に「保育は成長産業」と閣議決定させた学者や起業家の、馬鹿げた欧米コンプレックスが、国の根幹に関わる保育施策を動かしている。

伝統的「家庭観」が消えかける一方で、スウェーデンでは、五年前に徴兵制を「女性も含める形で」復活させています。ロシアの脅威や、自己肯定感の塊のようなプーチンの顔を見ていると、「仕方がないこと」なのかもしれない。でも、国家が徴兵し、女性に銃を持たせることは、人類が、自問自答するための退路を断とうとしていることのように私には思える。それが本当に「平等」なのか。貨幣で計られる「平等」の行き着く先、M字カーブ解消の正体がそこに見える。女性らしさ、が意味を失おうとしている。

幼児たちの「神性」を守っている人たち(母親)をみんなで守って、「社会」の輪郭が定まっていくのです。その輪郭がぼやけ、いま、生涯未婚の男性が三割になろうとしているのです。

男たちが、「生きる動機」を失い始めている。義務教育やマスコミの「性的役割分担」の否定が、じわじわと男たちの「責任意識」を薄れさせ、母子分離の体験が相乗作用となって、本当の意味での「男女共同参画社会」を壊そうとする。引きこもりが増加し、その平均年齢は上昇を続け、三十五歳になるという。

人は、「自分の為」には生きられない。それを体験的に学ぶのが、乳幼児期の母子関係です。5歳くらいまででもいい、しっかり「可愛がって」もらうことが「生きる力」になる。

勤務当初から不適切な保育と思えてしまうことが続いています、というメールが、一人の保育士から届きました

「虐待」とまでは言えないのかもしれませんが、小さな出来事であるが故に、その文章から、生々しい現実を感じるのです。

成長期の子どもの、「周りを信じようとする」心理を考えると、保育士による、ほんの数分の意地悪や、大人気ないしっぺ返し、当てこすり、それが日常的に繰り返されることによって、幼児の脳の発達にどれだけ深く影響を及ぼすのか。

 

●家で。特定のヨーグルト(R-1)を食べているらしい?Dちゃん。ヨーグルトがおやつに出る時は必ず。「R-1しか食べないから」と、嫌みから始まる。食べなれていないものは抵抗もあってそれが表情に出ると「そんな顔して!」と、罵られる。食べてみて美味しいとわかると良く食べ、お代わりを欲しがる。すると「食べないんでしょ!そんな顔する人にはあげません!」と言い、隣の席のEくんからのお代わりの要求には「お代わりほしいのー?」と大盛りであげる。それを横目に、お代わりを欲しがると「えっ!?食べるの?!え~!?本当に食べるの?じゃあちょっとだけね。」と、ほんとにわずか。ヨーグルトの度こんな感じ。

 

●担任たちが、発達障がいだと疑っているEくん。

Eくんは、一日何度も怒鳴られている。園でも散歩先の住宅街でも、大きな声で、「Eは、こんな行動とるし、こんなに大変だし、こういう姿もあって、絶対引っ掛かってると思う。上に言っても、まだ、小さいからと、取り合わない。お母さんもこんなだし、家でどうしてるの。こういうこは家でみてればいいんだよ。」など、日々ずっと話している。声が大きくて住宅地で聞こえてるのではないかと感じてしまう。

からだか良くきき、身軽。担任の行動もキョロキョロとよく把握していてる。一歳児だから、この子に関わらず。まだ、はっきりしゃべれないこもいる。思いが通らず、関係のない友達をつき倒してしまったり、担任が困る行動をとったりする。多動だとみているのか?逃げようと走ると腕で、通せんぼされて、跳ねて後ろに転んだり、背中の服をわしづかみにされて引き留められたり。

担任は引き止めるにはそれしかないという。一番核の担任がいない日に弾けるこどもたちの中で、よりいっそう弾けてしまうE。その大変な行動を園のカメラで動画にとって、翌日核の保育士に見せる。良くやってくれたと称賛。今度からそうしよう。どんなに困ってるか動画をとって上に見せよう!と話していました。

早速、Eが困った行動?をしたら、カメラを手にし、「あー、そんなことしたら、撮っちゃうんだからー(笑)」と、ニヤニヤ嬉しそうに撮影。Eはカメラから逃げることはできず、逃げようと必死で部屋を走り回ったり、カラーボックスの上へ登ろうとしたりする。他の子達は、別の担任に「皆こっちへおいで〰️」部屋の隅に集められる。

「なんでこんな避難訓練みたいになってるんだろ😅」と、核ではない担任が言いながら自分のところへ避難させる。

Eの目は、今まで見たことのないような、精神的に壊れてしまうんじゃないかという表情で、逃げられないカメラの前で困ってたんだと思う。

寄せ集められた子供たちの表情も何ともいえない。

このクラスの子供たちの心が壊れてしまう。エスカレートする保育士の行動。

どうしたものか。どうしたら子どもたちを安心させられるか、どうしたら、守れるのか。

 

(ここから私です。)

この程度のことは「よくある事」、「小さな出来事」になっている保育園があるとしたら、それこそが、この国の存続に関わる、いま最も重要視されるべきことなのです。ヨーグルトに関する小さな出来事の中に、日常化し、より浸透している「非人間性」を感じる。この国の魂が失われていくのが見える。

その風景を、「子供たちの心が壊れてしまう」と感じる保育士が、いる。その人が、私に訴えかけてくる。私も、とんでもない事態になっている、と肌で感じる。いい保育士が辞めていくことが、制度の致命傷になっていくのがわかる。

以前、障害児の施設で働くのが好きで、そこで子どもたちとかけがえのない時間を過ごし、でも、繰り返される指示語の強さと、それが発せられる風景に耐えられなくなって、ある朝突然、ベッドから起き上がれなくなって辞めていった、感性豊かな人からメールが来ました。

いまは結婚して子どもがいます。「子育ては自由だから」という言葉に、彼女が手に入れた極上の世界を感じるのです。

 

こんにちは!

春ですね!お元気ですか?

息子は8カ月になり、人間みたいになってきました。かわいいです。

子育ては祈りの連続なんですね。そして私は親からのたくさんの祈りで大きくなってきたんだなぁとしみじみしています。

施設で働いていたときみたいに、子育てでいろいろな景色をみています。

働くといろんな制約やきまりがあるけど、子育ては自由だから楽しいですね(笑)

寝不足だけどがんばります。

かずさんも講演がんばってください。

「子育ては自由だから」という言葉が、すがすがしく、心に残ります。多分、私はそういうことを言いたいのです。

自分の価値を浮き彫りにする、「本当の自由」がそこにあって、人間は、幼児をしっかりと抱き、その自由を守ってきたんだ、と読み取ります。

いい翻訳者、伝令役にならなければ、と身が引き締まる思いがします。

 

「ママがいい!」という言葉の正面には、必ず一人のママがいる。

それを、忘れてはいけない。

代え難い「私」が、一人、いる。その「私」は、「いい!」と宣言された。その宣言された「私」を体験する人生が目の前にある。

「なりたい自分」ではなく、すでに「そうである自分」を体験するために、「子育て」の時間がある。それを忘れてはいけないのです。その体験が、人間社会を繰り返し「創造」するのです。

「ママがいい!」という言葉から、顔を背けなければいいだけのこと。

背ける役割りを繰り返していると、その役割りがその人を定義するようになる。本来の自分と矛盾しているから、苦しくなって、それでも無理に自分を肯定しようとすると、ますます自分が、「そう」なっていく。道筋がわからなくなり、原因と思われる物に不満をぶつけるようになる。これが、「自己肯定感」の一番怖いところ。

複数の保育士が、絶対的弱者を相手に、しかも「他人」の子どもを相手に、こういうことをするようになる。それが、国策によって連鎖している。これは、人類未体験の連鎖だと思う。

乳幼児を集団で、知らない人に長時間任せるという仕組みを、極々最近まで、人類は持ったことがなかった。だから、こういう風景も存在しなかった。そこまで認識しないと、実際に何が起きているかが見えてこない。

誤解されるのを覚悟で言いますが、保育という仕組みを「肯定」した瞬間に人類は何を手放すのか。「ママがいい!」という言葉を否定した瞬間に、何を選択したのか。そこを真剣に考えないと、この未体験の連鎖は、未体験の混沌へと、「私」たちを導いていく。

保育士を目指した人たちの人生を、ここまで不自然な行動に導いたのは、人間の日々の営みではないのです。政府と学者と、起業家たちによる、仕組み作りの失敗がそうさせたのです。「保育は成長産業」という閣議決定の「非日常性」が、保育士たちの人間性を傷つけ、子どもたちの心が壊れていく。

(「ママがいい!」と宣言してもらえる女性たちは、まだいい。哺乳類であるが故に、「パパがいい!」とは0、1、2歳児という幸福の鍵を握っている人たちは、あまり言わない。その宿命の中で、それでも自分の子どもに授乳するひとの姿に感動し、母と子の安心を守ることで、「私」を発見してきた男性たちが、今、その役割を失いつつあるのです。

欧米で、未婚の母親から生まれる子どもが半数近くになっている。この数字は人類にとって未体験の、恐ろしい現象です。政府によって行われる母子分離と違い、男たちは、「自ら、その道を選択している」のです。誰にも「いい!」と宣言してもらえない男たちが、拠り所を失い、対立の中で支配欲を強めている。三人に一人が虐待を経験するアメリカで、去年、犠牲者が四人以上という乱射事件が一日平均二件、というニュースが流れてきました。

私が、幼稚園、保育園における親の保育体験を、なるべく父親から、と勧めるのも、幼児による「いい!」という「宣言」が早いうちに父親にされることを願うからです。そして、「ママがいい!」にも書きましたが、小学5、6年生あたりから、義務教育の中で幼児と過ごす体験をさせることで、自分の位置、「役割り」を喜んでほしいのです。いまの義務教育は、男女平等の名の下に、男女の対立、利権争いを煽り過ぎている。市場原理が、教育を媒介に取り返しのつかない分断を生み出そうとしている。)

 

こども家庭庁は、実際は三歳未満児を対象にしている「こども誰でも通園制度」で、「こどもは保護者だけが育てるのではなく、社会の様々な人が関わり、社会全体で子育てを支えること が望ましい。」などと言う。保育の質が落ちる規制緩和を散々しておいて、よく言うよ、と本当に腹が立ちます。三歳未満児にとって「社会」の八割は「母親」なのです。その母親と離し、「社会の様々な人が関わり」などと机上の空論を保育学者は言いますが、その「社会」の現実は、その日の、その時間の、保育士の当たり外れでしかない。「継続性という質」はもう整わないと彼らは知っている。

「信頼して預ける」という「仕組み上の」前提があるように装っていますが、それは「仕組み上」でしかない。子どもの願いや将来を共有してはいない形だけの「信頼」は、たやすく裏切られる。その時、子どもたちの心に残る傷跡、「信じることを諦める」体験が、些細なことのように思えても、それが積み重なってゆくことを考えると、この、子育ての「現場」で起こる裏切りは、人間が「調和への道筋」を将来に渡って放棄することにつながっている。告発者が書く「エスカレートする保育士の行動」が、この政府が勧める、偽りの「信頼関係」から生まれているのです。

(「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。最前線で頑張っている人たちのためにも、広めてください。心の中にあるモヤモヤや葛藤の原因が、どこにあるか、把握することで視界が開けてくる。道筋が見えてきて、そこに子どもたちが先導役としていれば、保育者の人生も定まってくる。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。園長先生の呼びかけで、保護者や保育士だけでなく、行政の人や議員、校長先生が参加してくれることもあります。NPO的な子育て広場や、園の空き保育室を使った「支援センター」など、小さな集まりが増えていくのが一番いい。予算も出ます。

「ママがいい!」という言葉を受け止めればいい。そんなに難しいことではない。

長いお付き合いの、浜松のいぬかい小児科医院の犬飼先生から、親たちに貸し出します、とサイン入り(一言付け加え)の「ママがいい!」30冊の注文が来て、さっそく送りました。全国の小児科医院に、親たちへの貸し出し用に、一冊ずつ置いてください。サイン入り(一言付け加え)とリクエストしていただいて、出版社のグッドブックスの方に注文していただければ、必ず対応いたします。よろしくお願いします。正月、Amazonの「人気ギフトランキング」で「ママがいい!」が一位になりました。

一月二十八日(日曜日、長野県佐久市で、誰でも参加できる講演をします。よろしければ、ぜひ、いらしてください。)14:00から、場所は、佐久平交流センター。申込先は、NPO法人佐久生活文化推進機構/連絡先 090-3343-5850)までどうぞ。先着200名だそうです。いいところです。)

明けまして おめでとうございます。

明けまして おめでとうございます。

本年も、どうぞよろしくお願い致します。

元旦に、グッドブックスの編集長、良本さんから、嬉しいメールが届きました。

「昨年も、たいへんお世話になりました。ご奮闘に心より感謝いたします。年末年始にもかかわらず、『ママがいい』を求めてくださっている方が大勢おられます。いまAmazonでは、人気ギフトランキング1位、ほしいものランキング3位、ジャンル2位です。

YouTubeを楽しみにしています❣️」

このメッセージで、ああ、頑張らなくては、と元気が出ました。

 

年末には、ある図書館で、三十人待ち、という噂を聞きました。政府や経済界が何を目的として動いているか。それが、今、保育や学校教育の現場をどれほど追い詰めているか。彼らの言う「子育て支援」のカラクリが限界に近づいていることを知ってほしいのです。

「ママがいい!」という言葉を起点に、どう耕し直すことができるか。保育者や学校の先生、親たちだけでなく、中学生、高校生にも知ってほしいのです。この国は、奇跡的に「いい国」だと気づいてほしい。

幼児たちに信じてもらう、という方法は、人生の指針になること。公平に与えられた人類存続の動機、選択肢であることを、これから親になる人たちに「喜び」として知ってほしい。日本の文化が持つ「その願い」と「期待」が、SNSやインターネットという伝達手段を通して伝わっていくようなのです。

「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。園長先生の呼びかけで、保護者や保育士だけでなく、行政の人や議員、校長先生も講演を聴きに来てくれることがあります。幼稚園、保育園は、親心のビオトープになり得る。草の根的な、子育て支援センターや子育て広場が、子どもたちを包み込む「絆」の復活の場になる。保護者会で私の講演を聞き、本を読んだ母親たちが、ランチミーティングや勉強会を計画して呼んでくれたりします。

「ママがいい!」という言葉をみんなで感謝して、受け止めればいい。そんなに難しいことではない。(何しろ、Amazonで、人気ギフトランキング1位、ほしいものランキング3位、ジャンル2位なのです。😀)

 

浜松の「いぬかい小児科医院」の犬飼先生から、親たちに貸し出します、とサイン入り(一言付け加え)の「ママがいい!」30冊の注文が来て、さっそく送りました。字が不得手な私が、30種類、「一言」を考えて書きました。一つは、「パパもいい!」、あとは、どんなことを書いたのか。「可愛がる、そして寄り添う」とか、「子育ては、双方向への体験です」とか、書いたような気がします。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

松居 和

とてもいい、責任

「子育て」は、人間たちを「信頼」の連鎖へ導く道筋で、いい「責任」です。

逃げられない「責任」だから、「自分は不完全なんだ、という自覚」が「社会の持続性」や連帯感につながっていく。「人間性の証明」と言ってもいいですね、利他の「伝承」が続く。一番たやすい「幸せの見つけ方」が平等に示される。なくてはならない、責任です。この「責任」が一人一人の忍耐力を養って、社会の最小単位である夫婦(男女)が互いの資質と欠陥を確認し合う手段となりました。しかも、時間をかけて、ゆっくりと。命の成長を眺めながら。

種の保存に不可欠な役割分担が、社会が鎮まる中心にあったのです。ずっとそうだった。

義務教育という新たな足かせの中で、それを否定してはいけない。性的役割分担が「不平等」と認識されて、それを糾弾する世論が社会に広がっていくと、「責任」の転嫁が始まる。そして、誰かがこの責任から逃れようとすれば、他の人の子育てを苦しめることになる。義務教育が普及した社会では、そうなる。

お互いの子育てが、切っても切れない、永遠に続く関連性の中にあることを思い出さなければ、学校教育は崩れていく。

(「性的役割分担が単純に「不平等」と認識されたり、それを糾弾する情報発信が繰り返され、A.I.(人工知能) にインプットされていけばどうなるのか、と最近よく考えるのです。A.I.特有の「幻覚」ハルシネーション :hallucinationが、知らないうちに社会全体に影響を及ぼすようになるとすれば、恐ろしいことになる。A.I.はすでに、確信犯的にフェイクニュースを作るところまで人間を模倣し始めているのです。

A.I.が、東洋哲学や宗教、ことわざや神話を、年月を経た、貴重な情報として受け入れ、この国が完成させ、当時の西洋人を驚かせた「子ども優先の社会」(http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=1047 )を、目指すべき「良い形」と評価してくれるところまで、早く、できるだけ早く、達することを願うばかりです。

最近、A.I.の開発に関わるGoogleの職員が離職し始めているという。開発速度が遅い、という理由で去る人がいる一方で、早過ぎる、と言う職員がいる。A.I.が、互いに教え合って進化する「ディープラーニング」の方向性と、その理由がわからないことに、社長(CEO)自身が不安を抱いている。:「The AI revolution: Google’s developers on the future of artificial intelligence | 60 Minutes」その不安そうな顔が、ユーチューブで配信されています。番組の半ばあたりです。)

 

保育園や幼稚園、学校に通うことがほぼ当たり前になった国々では、子どもたちの「環境」は、主に他の子どもたちで、それは他の親たちがどういう親か、ということです。義務教育が「義務」である限り、その足かせからは逃れられない。そこに、保育や教育に依存し始める親たちが増えることの危うさを感じてほしい。

以前、厚労大臣が、「子育ては、専門家に任せておけばいいのよ」と言った。そう言われれば、素人よりも専門家がやった方がいい、と思う(思いたい)親たちが増えてもおかしくない。保育学者が言う、主体性も、自己肯定感も、親を含めた「責任と調和」の範囲内で行われないと、成果を求める自己啓発セミナーの幼児版のようになってしまう。平均的保育士に二十人の子ども相手に自立心や「自己肯定感」を高める保育など、できるわけがないのです。全ての親たちと緊密な信頼関係を作ったとしても、2、3年の保育では無理、机上の空論に過ぎない。もっと端的に言えば、短時間勤務や派遣保育士をつないでいく保育が認められた現状で、「子育て」はできない。不適切保育さえ減らせないのが現実です。保育室がバタバタになって、それが学校に連鎖していくだけ。

個性を大切に、という言葉が、「どの個性を?」という質問で簡単に崩れるように、「自己肯定感」も、「自己のどの部分を?」と尋ねられれば、答えは永遠に変化し、見つからない。「そんなもの持ったら、プーチンみたいになっちゃうんじゃないの?」で、お終い。

子どもたちを可愛がり、守る、それが保育の基本です。教育とは一線を画すべきもの。

守った人間が喜びを感じ、守られて育った人間は、社会とまわりの人間を信頼する。信頼することが、やがて自分を守ってくれる。その法則が、親も含めて土台になければ、本来、保育にはならない。幼児が、「ママがいい!」と言ったら、「ママがいい!」のです。これほど純粋で、わかりやすい「指針」はない。

子どもたちに「肯定」してもらって、そこから、人間社会が始まる。

その原点に立ち返らず、母子分離を経済戦略の名で進め続ける政府の姿勢を糾弾せずに、「自主性」とか「自己肯定感」などと言っても、「仕組み」で子育てができると主張したい人たちの誤魔化し、「罠」にしか聞こえない。結果的に、子どもたちの信頼に応えられなくなり、現場の人間が耐えきれず去っていく。それがもうすでに起こっている。

以前、千葉で保育士が園児を虐待し警察に逮捕された時、園長が取り調べに、保育士不足のおり、辞められるのが怖くて注意できなかった、と言い、それが全国紙の一面に載ったことがあるのです。保育士個人の資質の問題が、その瞬間、国の保育施策の失敗だと指摘され、宣言されている。それでも政府は0、1、2歳の母子分離施策を「子育て安心プラン」と名付けて進めた。保育学者が「社会で子育て」と言って、それを支持した。

「ママがいい!」と言われなくなることの方が、怖い。慣らし保育で、私たちが何に慣らされているのか、どう踊らされようとしているのか、気づいてほしい。政府の掲げる「子育て安心プラン」で、誰が安心しようとしているのか……。少なくとも、子どもたち、ではない。慣らし保育は、実は、親たちが慣らされる仕掛けです。

子どもたちは、慣れるのではなく「諦める」。その原因をつくった親たちが慣らされることで社会は確実に調和と落ち着きを失っていく。スウェーデンでさえ日本の20倍という欧米先進国の犯罪率、そして、米国における女性の受刑者の「異常な増加」から、学んでほしい。

鮮明に覚えている場面があるのです。

家で、熱にうなされ、担当の保育士の名前を呼ぶ子がいて、園に電話がかかって来た場面に遭遇したのです。保育士と保護者に講演をして、園長先生と、ほっと一息ついてお茶を飲んでいたら、主任さんが伝えに来たのです。

〇〇ちゃんが熱を出して、〇〇先生を呼んでいる、とお母さんから電話があった、どうしましょうか、と言うのです。

園長先生は、保育士たちの電話番号を知りません。主任さんは知っている。今日はデート中だと思いますけど、と主任さん。

「一応、電話してあげてくれる?」と園長先生。

〇〇先生は、きっと、とてもいい保育士なのです。熱を出した子どもに呼ばれることは、保育士にとって勲章かも知れない。でも、その子の人生にとって、それでいいのか。

どんなに頑張っても保育士が関われるのは五歳まで。そして、その間も、担当の交代という組織上の出来事が、どういう風にその子の心に刻まれていくのか。いい保育をするほど心の傷は深くなるのではないのか、そこまで考えなければ、「子育て」の存在意義さえ社会から失われていくのです。

園長先生は、保育士冥利につきるね、と言いながら、でも、これでいいはずがないんだ、と呟きます。園で熱を出し、母親を呼ぶのならいいんです。以前は、そうだった。

いい保育は、もちろん、した方がいい。私を講師に呼ぶくらいですから、いつでも親に見せられる保育をしている、園長のお眼鏡にかなった保育士を揃えている園です。でも、それによって親たちが、子育てを「仕組み」(知らない人)に平気で頼るようになる怖さを、園長先生は知っている。子どもたちが置き去りにされる風景を見ている。

少子化にもかかわらず児童虐待過去最多、不登校児童過去最多、保育士不足に加え、教員不足に歯止めがかからない。

それでも園長先生は、「電話してあげてくれる?」と言いました。そういう人なのです。窓にかかっているカーテンを見ていて、それがわかります。そういう園には、いい保育士が集まるのです。

「行ってくれるそうです!」と報告に来た主任さんの顔が嬉しそうです。

うん、うん、と園長先生も頷きます。

保育は、こうした阿吽の呼吸で成り立つ。そこに、また新鮮なスタートラインが見えました。すると、お母さんが園に電話をしてきたこと自体、なにか、とてもいいことだったように思えてきたのです。

子どもを可愛がる、という単純なことで、みんなが「いたらない自分」を実感し、助けてくれる絆に感謝し、そのきっかけを作ってくれた乳幼児を、さらに愛おしく思う。その循環が社会に満ちていれば、子育てにいい。

子育ては、育てる側が自分の人生をどう表現するか、ということなのです。

 

タイミング

講演中に、親の手をすり抜けた二歳児が、パタパタと目の前を走りぬけることがあるのです。時々、起こる現象ですが、私が、すかさず「神様は、こんな風に走るんです」と言うと、お母さんたちが瞬時に理解する。

大学の授業では絶対に起きないこと。それが起こったことを母親たちは、理解する。「幻覚」ではない。神話の領域で現れる、「真実」です。

人生は、タイミングです。

次元をつらぬくタイミングを、幼児たちが持ってきて、その瞬間の彼らの足音が、記憶のどこかに残るんですね。

その時の自分の反応と、手応えを、記憶のどこかにしまっておけば、たいていの悲しみは、「たいしたことない」と自分に言い聞かせて乗り越えていける。

情報は知識ではない、体験が知識なのだ、とアインシュタインは言いました。

(ブログは:http://kazu-matsui.jp/diary2/ です、「ママがいい!」、ぜひ、読んでみて下さい。子育てを通して、自分と付き合う方法が書いてあります。講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。NPOや幼稚園、保育園の空き保育室、さまざまな方法で、親子を引き離さない「子育て支援センター」や「子育てひろば」を増やしていけばいい。連絡会などもありますし、申請すれば、予算も出ます。

目の前にいる人と、子どもを眺める。その日々の積み重ねが環境となり、どこかで私たちを守ってくれる。その中で、親たちの絆が育っていけるように、場づくり、よろしくお願いします。

どうぞ、良いお年をお迎えください。)

「愛着障害」と子供たち

八年前、ブログ:シャクティ日記に、「クローズアップ現代(NHK)〜「愛着障害」と子供たち〜(少年犯罪・加害者の心に何が)を書きました。 http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=267 
警告はすでに、繰り返しされているのです。(以下、引用です。)

クローズアップ現代(NHK)で、〜「愛着障害」と子供たち〜(少年犯罪・加害者の心に何が)という番組が放送されました。発育過程で家庭で主に親と愛着関係が作れなかった子どもたちが増えていて、それが社会問題となりつつある。殺人事件を起こした少女の裁判で、幼少期の愛着関係の不足により「愛着障害」が減刑の理由として認められたという内容です。

さっそく、保育園の園長先生から電話がありました。
「問題はここですね。保育の現場で私たちがずっと以前から気づいていたことです。肌の触れ合いや言葉掛けが減ってきて、一歳から噛みつく子がますます増えています。保育士が補おうとしても限界があります。手も足りません」。保育士たちが日々保育室で目の当たりにしている光景、いわば愛着障害予備軍の幼児たちなのです。

行政の方からも電話。「この番組を見て、政府は4月から始める『子ども・子育て支援新制度』をすぐにストップしてもいいくらいだと思います。幼児期の大切さをまるでわかっていない」。

役場の子育て支援課長がここまではっきり言うのも、今回の新制度は、首相の「もう40万人保育園で預かります。子育てしやすい国をつくります」という二つの矛盾した考えから始まっているからです。
3、4、5歳に待機児童はほとんど居ません。幼稚園と保育園でほぼカバー出来ている。首相の言う40万人は自ら発言出来ない、三歳未満児が中心で、番組で言われていた愛着関係の濃淡に最も影響を受けやすい、脳科学的にも人間性の基礎が形成されると言われている一番大切な発育期にある子どもたちなのです。

政府が経済最優先で進めている改革の中身は、認可保育園での三歳未満児保育を増やす、認定こども園、小規模保育、家庭的保育事業と、市場原理を利用しながら「乳幼児たちと母親を引き離すこと」なのです。

そして、すでに小学三年生までの保育でアップアップの学童保育を四月から一気に六年生まで引き上げろと言うのです。
指定管理制度の中で抵抗出来ず、行政から言われる通りにやるしかない非正規雇用中心の指導員に、様々なレベルの愛着障害の子どもたちに対応するだけの余力は残っていない。一週間程度の座学で誰でも資格をとれる「子育て支援員」で誤摩化せるはずもありません。

以下、放送された内容です。
(ブログのリンク。http://kazumatsui.m39.coreserver.jp/kazu-matsui.jp/?p=267 をご覧ください。)

繰り返しますが、警告は繰り返し発せられている。

政府の思惑を、ネット上で広めていただきたいのです。コピーペースト、シェア、リポスト、口コミ、どんな方法でも構いません。
このままでは、保育も教育も、学童も児童養護施設も、一斉に倒れていくことを理解してもらいたいのです。よろしくお願いいたします。

 

(講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。「ママがいい!」を読んでの勉強会であれば、ボランティアでも行きます。幼稚園や保育園で、出来ることがたくさんあります。子どもにとって、親を信じることは、人生の流れを決めていく指針です。「愛されている、そう思う子どもに育ってほしい」。親たちの、その願いが、社会を整えます。)

 

「ママがいい!」と言えない乳児たちのために

(「ママがいい!」より、引用)

以下は、東京西部で代々保育園を営む理事長の言葉である。

「本年度の入園説明会が終了した。0歳児保育を希望する人が三十四名もいた。そこで、0歳から六歳までの発達の特徴と、〇、一、二歳児における母子関係の大切さを説明した。世の中には0歳児から預けようとする風潮が広がっているけれど、それは間違いですと伝え、なぜ育休を取らないのか? と訴えた。説明会終了時、拍手が起きたのには驚いた。夫婦が寄ってきて『説明会を聞いて本当に良かった!』と感謝された。その目には、自分で育てようとする意思がはっきりと見て取れた」(共励保育園・こども園の長田安司理事長のツイートから)

きちんと説明すれば、親は理解する。この国の素晴らしさであり、土壌だと思う。

「保育所に入りたい待機乳児」はいない。〇、一、二歳児は、母親と一緒にいたい。その願いにすべて応えることはできないのだが、政府が意図的にその意に反する政策を進めていけばどうなるのか。すでにその答えは出ている。大人たちの都合で仕組みや制度の整備が進めば、弱者の存在感は薄れ、保育の先にある様々な仕組みが順番に破綻し始める。その結果、貧困に追いやられ、孤立する弱者が増えていく。

(引用ここまで)

多くの人が知らされていない。

説明すれば、拍手が起きる大事なことを知らされていないのです。しかし、知らせようとする保育園の理事長もまだいる。

「なんとなく、流れで」と、政府や経済界がつくった誘導にしたがって0歳から預けてしまう人たちがいる限り、「ママがいい!」と言えない乳児たちのために説明しなければいけない。

なぜ、それを義務教育でやらないのか、とつくづく思うのです。中学校の家庭科の授業が、市場原理に呑み込まれている。性的役割分担を否定するようなことを教える。

「女性の活躍」という言葉、「一億総活躍」もそうでした。その裏に、母親の役割を「活躍」から外そうとする意図がある。母子分離で経済競争を促す。人類史上最も愚かな試みです。

「平等」など、実は、誰も信じていない。真剣に平等を言うなら、子どもたちの「願い」が優先されるはず。

 

本当に保育が必要な時間だけ預かっているのであれば、保育士は足りています。不平や不満を広めて、競争原理に駆り立てようとする、「欲の資本主義」の企てが、保育、そして学校という仕組みを追い詰めています。いい加減にしないと、戻れなくなる。

三十年前、私を鍛えた園長たちは、祖母の心で保育をしていました。

「病気の時くらいは、側にいてあげなさい」、「そんなに長く預けたら可哀想でしょう」そうはっきりと言った。

そうした親身な人が傍にいてくれることが、母親たちを救ったのです。自分を頼り、信じている子どもの姿が親たちに気づかせたのです。いつでも許し、愛してくれる小さな人たちがいることが、一番幸せなのだと。

「保育は成長産業」という閣議決定で、政府は母性という、この国の文化の心髄を家庭からも保育からも失わせようとしています。子育てを「負担」と宣伝する政府の「罠」に親たちが気づくように、「ママがいい!」ぜひ、読んで、広めてほしいのです。図書館で順番待ちになっているそうです。この国には、利他の心で社会を創る、運命としての道がある。

(ブログ:http://kazu-matsui.jp/diary2/ に、タイトルをつけて、原稿を載せてあります。いま、意識が変わり始めている。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。「ママがいい!」を読んでの小さな勉強会であれば、ボランティアでも行きます。

幼稚園や保育園で、出来ることがたくさんあります。子どもにとって、親を信じることは、人生の流れを決めていく指針なのです。「愛されている、そう思う子どもに育ってほしい」。親たちの、その願いが、社会を整えます。)

 

人間は、弱者の願いを尊重し寄り添う

 

最近、保育関係者から講演依頼を受けると、不適切保育を無くすにはどうしたらいいですか、と前もって質問されることがよくあります。他人の子ども、しかも0、1、2歳をいじめる、人間として許せない保育士は雇わない、不適切とわかった時点ですぐに解雇する、それだけのことなのです。母子分離の目標数値を「子育て安心プラン」で掲げ、それができない状況を作り出しているのは、政府なのです。そこに気づかない限り、すでに学校教育まで達している不信感の連鎖は止まらない。

 

最近の記事です。

大手の福祉系株式会社が経営する保育園に、不適切保育士が四人常駐していた、という。

(思考を情報レベルで止めないで、この「市が虐待と認める」風景を、毎日毎日、たくさんの子どもたちが見ていた。そのことを忘れないでほしい。その出来事は、子どもたちの記憶の中に、原風景、PTSDとして残り続ける、そこまで想像して読んでほしいのです。)

 『吐き出すまで嫌いな給食たべさせる…ニチイ学館運営の保育所で園児に虐待行為』 https://www.tokai-tv.com/tokainews/article_20231023_30806 

 ニチイ学館が運営する名古屋市中川区の保育所で、虐待行為が発覚し、市が改善勧告をしました。名古屋市によりますと、中川区の認可保育所「ニチイキッズ長須賀保育園」で2023年4月から9月にかけて、保育士4人が3歳や5歳の園児に対して、食べたものを吐き出すまで嫌いな給食を食べさせるなどの不適切な保育を続けていました。(中略)この園では2015年にも、園児に食事を無理やり食べさせる虐待行為が発覚していて、ニチイ学館は取材に「2回目が起きてしまったことは深刻な問題と捉えている」などとコメントしています。

 名古屋市 虐待行為で2つの保育施設に改善勧告 https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20231023/3000032389.html
(前略)ルナ4新栄では、9月、園児が吐き出して机の上や床に落ちた食べ物を再び園児に食べさせたほか、食べ物が床に落ちたことに対し「ごめんなさいは」と謝罪を要求するなどの行為があったということです。
市は、いずれの行為も虐待と認定した上で、園児の生命や身体に危害を及ぼすおそれがあるとしてそれぞれの施設に対し、児童福祉法に基づく改善勧告を行いました。
市は、施設に対し、職員を対象とした研修や、利用者の信頼を回復するための取り組みを定めた再発防止策を策定し、11月22日までに提出するよう求めています。
「ニチイキッズ長須賀保育園」を運営するニチイホールディングスは、「園児、保護者の皆さま、関係者の皆さまに多大なるご迷惑とご心配をおかけし、深くおわび申し上げます。改善勧告を重く受け止め、名古屋市の指導をあおぎながら再発防止を徹底するとともに、適切な保育園運営に努めてまいります」とコメントしています。
また、「ルナ4新栄」を運営する社会福祉法人「中日会」は「保護者に多大なるご不安やご不信をいだかせて誠に申し訳ありません。園児の発達を考慮した保育を実践し、不適切な保育を徹底して排除します」などとコメントしています

 

(ここから私です。)

「改善勧告を重く受け止め」る、のではなく、その前に、人間として受け入れてはいけないこと、なのです。なぜ、その時止められなかったのか、仕組みに子育てを任せ、それに慣れるということの恐ろしさがそこにはある。なぜ、そんな仕組みになってしまったのか、保育現場が人間性を失っていく現実を、他人事ではなく、社会全体の問題として「重く受け止め」なければいけない。

「親に見せられないこと」をする保育士を複数人雇い続けたということは、組織ぐるみの「確信犯」なのです。今更、「2回目が起きてしまったことは深刻な問題と捉えている」では話にならない。こんなコメントが成り立つこと自体がおかしい。こんなコメントやニュースに慣れてはいけないのです。

2回目が起こるまでの間、その風景に慣れようとした保育士たちがいた。その保育士たちの感性、人生が壊れていった。それを見ていた子どもたちの一生に、大人たちのその姿が焼きつき、その時の不安感が、将来パニック障害や統合失調症のような形で現れる可能性がますます高くなっている。

先進国社会に共通した精神疾患の異常な増加は、幼児期における安心感の欠如がその原因にある。幼児期の不安定な人間関係とそれを目にした恐怖がある。

 

次の週、こんな報道がありました。

保育士5人が計30件の虐待・不適切保育 徳島の村立保育所

 徳島県佐那河内(さなごうち)村の村立佐那河内保育所で不適切な保育が行われていた問題で、同村は1日夜、弁護士ら外部の専門家2人による調査結果を公表した。女性保育士5人が少なくとも9人の園児に対し、2021年度以降に計30件の虐待や不適切保育などを行っていたことが明らかになった。当初、同村の調査では虐待はなかったとされていたが、今回の調査では虐待15件を認定。保育士5人のうち2人は既に退職しており、同村は他3人について処分する方針。また、5人について刑事告発も検討する。

 報告書では、園児が口から吐き出した食べ物を食べさせた▽園児が机の上にこぼした牛乳を紙片でかき集めてコップに入れて飲ませた▽冬に園児の下半身の衣服がぬれた状態のまま散策させた――など計15件を虐待と認定。また、複数の園児に対し「アホ」「バカ」と言うなど、心身に有害な影響を与える行為が3件、園児の排便が床に落ちた際にティッシュでふくだけで消毒をしなかった▽絵本を読んでほしいと求める園児に対し「うるさい」と言うなど、身体的、精神的苦痛を与える「不適切保育」事案12件を認定した。

 岩城福治(よしじ)村長は記者会見で「園児とその保護者に心からおわびする。職員一丸となって、園児の心のケアと信頼回復に努めていく」と陳謝した。

 保護者の1人は毎日新聞の取材に対し、「これまで何度も保育所長を通じて村に虐待を通報していたのに相手にされなかった。保育所が一つしかないため保育士の人事異動もなく、状況を改善できない体質が問題だ」と憤った。

 

(ここから私です。

村に一つしかない公立保育園で、乳幼児に対する虐待が、数年に渡り複数の保育士(地方公務員、準公務員?)によって続いていた。親が役場に通報しても相手にされなかった。

これはもう過失ではない。国が責任を持つべき「仕組み」が破綻している中で起こる、組織的「行い」です。親たちに「子育ては人生の幅を狭くする」(子ども未来戦略)などと言って、母子分離を勧め、世論を損得勘定に誘導し、「子育て」を保育士に押し付けても、その歪みの中で保育の質は落ち、その影響は、子どもたちの人生を左右する。

仕組みから「心」が消えていくことが問題なのです。「弁護士ら外部の専門家2人による調査」が必要なことでは全くない。人間として、駄目なことはダメ、なのです。役場を含む現場で、いつの間にかそう言えなくなり、それに「慣れた」ことが問題なのです。

(経済財政諮問会議の元座長が、「0歳児は寝たきりなんだから」と言うのです。乳幼児たちの日常の大切さを、全く理解しない村長や政治家が居ても不思議ではない。)

「研修」や「対策」、改善勧告で対処する範疇を超えている。子どもたちは、安心できる環境を求めているのに、それに応えようとしない大人たちがいたということ。それまで見ぬふりをしていた村長が「信頼回復に努めて」いける問題ではない。子どもを可愛がる、から始まって、子どもに寄り添う、そして、「ママがいい!」と言っている子どもを母親から長時間引き離すのは、「可哀想」と思う心を社会全体に取り戻していくしかない。

村役場の職員が一丸となって、「園児の心のケア」など出来るはずがないのです。「村人が一丸になって」なら、まだわかる。しかし、役場が専門家を雇って、子ども一人一人に対応したとしても、そこに「心」と継続的な「絆」がなければ、できることではない。乳幼児期の発達に影響するこうした出来事は、原因と結果の境界線がわからない。はっきり言ってしまえば、心の専門家、みたいな人が増えるほど、社会全体の心の病は増えていく。カウンセラーや心療内科が「薬物依存」や「アルコール中毒」の入り口になっていく。(仕組みと薬物の関係について欧米社会で何が起こったか、「ママがいい!」に書きました。学問と仕組みに人間性の代わりはできないのです。)

「専門家を雇って」というのは、いつもの言い訳、「ケア」という横文字を混ぜるのは学者の誤魔化し。「ママがいい!」という言葉にみんなで真剣に向き合って、親身な絆を立て直すこと、耕し直すことしかない。

NPOでも、保育ママさんやファミサポを中心にした集まりでもいい。母親たちの心から生まれる「子育て支援センター」が、雨後のたけのこのように増えていけばいい。それは、今、増え続けている。

一昔前にそれが当たり前だったように、「お互いの子どもの小さい頃を知っている」という関係から、信頼関係を作り直すことしかない。だからこそ、幼稚園、保育園の役割り、サービス産業化せずに、親心のビオトープになっていくことが鍵になってきているのです。

人間は、弱者の願いを尊重し、寄り添うのです。

「ママがいい!」という言葉をありがたい、と思い、みんなが、心を一つにする。良くないことがあれば、「可哀想だった」と、みんなで心を痛め、一緒に悲しむ、良いことがあれば、みんなで祝う。そういうことが大切なのです。

政府や仕組みに、その責任を委ねてはいけない。政府は、子どもたちが「可哀想」だ、という次元では、もう考えていない。

地方公務員として保育士を募集し倍率が出ない地域がある。保育士不足はそこまで進んでいます。「処遇改善」はしてほしいですが、すでに人材不足は「待遇」では修復不可能ということ。それを理解せず、いまだに、より多く預かることが「子育てしやすい」自治体、と宣伝し、当選しようとする、議員、首長たちがいる。

心ある保育士たちから支持されていた「育休退園」を廃止し、それが子どもに優しい市だと言う市長が当選したりする。生まれたばかりの弟や妹と過ごす「権利」、二度とできない「体験」を、お兄ちゃんやお姉ちゃんから奪ったことなどこの市長の思考経路には入っていない。自ら選択できない幼児たちの人生を慮る「責任」が政治家にはあるはず。現場の保育士たちが、どう感じるかも含め、「想像力」「理解力」が無さすぎる。これでは、現場が施策に背をむけ、壊れていく。育休退園に反発していた母親が、仕方なく家で二人の子どもを育てているうちに、三歳に満たない上の子が赤ん坊を可愛がる姿に感動し、やって良かったです、と役場まで言いに来たことなど、マスコミは報道しない。

子育ては、双方向への「体験」で、代替できるものではない。親がそれに早く気づくことが、崩れ掛かっている義務教育を支える唯一の方法です。

今日、ここに挙げた園児虐待の記事は、国を挙げての確信犯的なネグレクトの結果です。

幼児と関わらせてはいけない人は雇わない、雇ってしまったら解雇する、ブラックリストに載せる、そうした幼児を守る姿勢を国が前面に示すだけでも、その多くを未然に防ぐことができる。

(一日保育士体験を進めて、いつでも親に見せられる保育をする、そう決意するのが一番自然で効果的です。)

なぜ、それが出来ないか。と言うより、しないのか。

不適切者の存在を許したのは、0、1、2歳児と対話して自分自身の人間性を学ぶことを避けようとしている、親たちなのかもしれない。

1997年に、『保母の子ども虐待:虐待保母が子どもの心的外傷を生む』中村 季代 (著)という本が出版され話題になっています。

保育学者たちは、保育所における良くない風景が連鎖することを知っている。実習に行った学生に聴けばわかる。「あの園に実習に行くと、保育士になる気なくなるよ」と、先輩から申し送りになっている園がある。そこに子どもたちの日々が存在するのに、その実態を、実習園を確保するために、学者たちは放置する。

「教育」は、その本質と魂を失い、資格ビジネスになった時に、時間を換金する手法でしか無くなり、市場原理と結びついて負の連鎖を始める。他の学問なら気にもしないけれど、「保育」でそれをやられると人間社会のモラル・秩序が壊れていく。

子どもを育てるということは、人間が生きる動機と重なっているのです。

保育科で教えるなら、まず、11時間保育を国が「標準」とすることは、子どもの権利条約違反だと宣言すべきです。それ以前に、0、1、2歳児を母親から長時間引き離すのは可哀想、という気持ちを忘れてはいけない、と、学生たちに念を押すべきでしょう。

すでに義務教育の「家庭科」の時間において、それができない。人間性の根幹について教えることができない。そこに、「欲の資本主義」が学問を取り込んでいる現実が見えます。強者の利権争い、損得勘定が「子育て」において一回りして、「教育」を形骸化させ、学級崩壊やいじめ、不登校に連鎖している。

いま、保育界が感じている「あきらめ」にも似た苦しみは、

幼児たちの信頼の視線を毎日浴びながら、保育士が「良い心」を抑えて仕組みに合わせるために、見て見ぬ振りをせざるを得ない状況になっていることに原因があるのです。

(ブログ「シャクティ日記」:http://kazu-matsui.jp/diary2/ に、書いたものをまとめています。タイトルも付いています。ぜひ、参考にしてください。重複する内容が多いのですが、初めて文章を読んだ人にも、何が起こっているか、全体像を理解してもらいたいので、そうなっています。コピー、ペースト、リンク、なんでも結構です、拡散していただけると助かります。

「ママがいい!」、読んでみて、良ければ、ぜひ、薦めて下さい。早く、多くの人が、経済学者や政治家が作った、子どもの日常を軽視した競争の仕掛けに気づかないと、すでに、学校教育が限界にきています。

教員不足対応への費用 今年度の補正予算案に盛り込む 文科省

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231103/k10014246021000.html 

2023年11月3日 4時10分 文部科学省

深刻化する教員不足への対応を急ぐため、文部科学省は、教員として働くことを希望する社会人を対象に行う研修、いわゆる「ペーパーティーチャー研修」の実施に必要な費用を今年度の補正予算案に盛り込むことになりました。

学校現場の教員不足が深刻な問題となる中、文部科学省は教員の確保に向けた一部の施策を前倒しして実施するため、今年度の補正予算案に必要な費用を盛り込むことを決めました。
このうち、各都道府県の教育委員会が教員として学校現場で働くことを希望する社会人を対象に行う研修、いわゆる「ペーパーティーチャー研修」の実施に必要な費用として、1つの都道府県当たり最大で570万円を補助することにしています。
研修は数週間程度で、不登校やいじめなど最近の教育現場の課題を学ぶことや、タブレット端末を使った授業の実習などが想定されています。
教員免許を持っていない人も研修を受けることが可能で、研修後、非常勤のスタッフとして学校で指導に携わり、適性を見極めたうえで「特別免許状」や「臨時免許状」が付与されます。
文部科学省では必要な予算として補正予算案に5億円を盛り込むことにしています。

(ここから私です)

五億円でどうなることではない。保育界で失敗した、有資格者の「掘り起こし」を義務教育でもやろうとしていますが、これは問題の先送り、やったフリに過ぎない。彼らの言う「資格」は人間性とは無関係で、そういう問題ではすでにない。人間性について真面目に話し合う、という土壌から耕し直さないと、発達障害x愛着障害xPTSDと思われる人たちが、教師や保育士になっている時代なのです。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。

「ママがいい!」のおかげかもしれません。最近は、園長先生の呼びかけで、単体の園での講演会に行政や議員、市長、近隣の校長先生も来てくれます。)

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赤ん坊が泣く意味と「国際会議」

赤ん坊は、泣いたら抱きしめられて、安心し、泣きやむ。

それでも泣き止まない時は、5分、10分抱っこして歩き回るといい。自分の気持ちを落ち着けて、鎮まるように先導する。それでも泣き止まなければ、親はオロオロ考える。誰かに相談する。この繰り返しの中で「絆」という環境を察知し、人類(赤ん坊)はニューロンネットワーク、「思考のあり方」の取捨選択をしてゆく。

オオカミに育てられた子や、アメリカで地下に閉じ込められ幼児期にほとんど人間と接触を持たなかった子どもに、いくらその後に人間らしさを教えようとしてもできなかった、という記事を読んだことがあります。

そのことを考えると、アメリカで以前発表された、赤ん坊が夜泣きをしても親が自分の感情を抑え、我慢し、抱きにいかなければ、赤ん坊は学習して泣かなくなる、という研究が恐ろしく思えてきます。こうした一部の学者の仮説がマスコミによって流布され、「教育」と「子育て」の混同と勘違いが進んでいった。結果や成果で測ることで生まれた「両立」という言葉が、愛着関係の希薄化に繋がり、犯罪社会となって具体化する。

このレベルの脳の発達は、この時期に限定されていて、やり直しが効かない。「ママがいい!」と子どもたちが言ったら、それは、古(いにしえ)のルールが働いている、ということ。泣きやんでほしいと思う心は、宇宙が私たちに与えた進化するための心。そして赤ん坊が泣きやむこと、これが人間関係を調和へ導く原体験なのです。

 

以前、神戸国際会議場で、第四九回小児保健医学会で基調講演をしたときのこと。https://www.jschild.or.jp/academic/343/

私の講演のあと、海外の学者を招いてパネルディスカッションがあったのです。学者やお医者さんに混じって、音楽家は私だけでした。

パネルディスカッションで司会をした東京女子医大の仁志田先生とは長いおつきあいでしたし、小児科医学会会長の前川先生は私の本を読んで、東京フォーラムで行われた第一〇〇回記念大会で基調講演を依頼した方。ステージで私を紹介してくださった中村先生は「母乳の会」の会長さん。学問ではなく、人間を見つめてきた人たちです。

困ったのは、パネルディスカッションのもう一人の司会者、アメリカのサラ・フリードマン博士が、二カ月も前から電子メールで何回か私の履歴書を送るように求めてきたこと。

ほかのパネリスト(イスラエル、イギリス、インドネシア、中国、ネパールの学者)は早々にそれぞれの履歴書を送っていて、私のところへも転送されてきます。どこの大学で学士、修士、博士号をとり、学会誌にコレコレの論文を発表し、大学で教えていて、行政とはこういう仕事をしている、著書はコレコレ、と細かく書いてある。英語で。

私も当時、アメリカのレコード会社が作った英語の履歴書があったのですが、スピルバーグの映画やジョニ・ミッチェルのアルバムで尺八を吹き、CDを十四枚出し、プロデューサーとしての作品は100枚を越え……、など、小児保健学会ではまるで意味がない。よっぽど、「音楽家」とだけ書いて送ろうかとも思ったのですが、それも失礼な感じです。フリードマン博士はアメリカ人の女性で、私はたぶん、基調講演でアメリカのことをかなり批判的に言ってしまう。学会が始まる前に気分を害してはまずい。仁志田先生や中村先生は、私が本に書き、ふだんから講演している内容を欧米の学者にぶつけたらどうなるか、に興味があるはず。手抜きはできません。結局、何も送らずにその日がきてしまいました。

「節度と場所柄」と自分に言い聞かせつつ、世界の子どもの幸せを願って、私は、やっぱり三人に一人が未婚の母から生まれ、少女の五人に一人、少年の七人に一人が近親相姦の犠牲者で、生まれた子どもの二〇人に一人が刑務所に入るアメリカ社会の現状を、「まともな人間社会じゃない」と講演で言い切ってしまいました。同時通訳の人が、ヘッドホーンの中で、どう英訳したかは知りません……。

イスラエルとイギリスの学者が、共通して「長時間保育がいかに悪い影響を子どもに与えるか」というテーマで研究発表をしていたのが印象的でした。世間で言う「両立」は、実は子どもの側からは成り立っていないのではないか、ということ。当たり前のことなのですが、子どもに信用されない社会は殺伐としてくるということです。

日本でも厚労省は二〇年以上前に白書で似たようなことを言っていますが、当時は、それでもまだ八時間保育でした。それが、経済論に押し切られ、さらなる長時間の保育が義務付けられていった。補助事業という現実に保育界は引きずられ、保育学者たちが、「社会で子育て」とか、「欧米では」とか言って、政府の経済優先の施策を支えていた。

イギリスは、伝統的家庭観を取り戻そうと必死にもがいていました。すでに未婚の母から生まれる確率が四割を超え、義務教育が荒れ始めていた。中学、高校で退学者を増やし、家庭に子どもを返すことで親の責任を喚起する方策は、退学させられた生徒の七割が犯罪者になる、という結果を招き失敗していました。その失敗の原因を、こんどは長時間保育(母子分離)に見出そうとしたのでしょう。子育てと幸福感を重ね、家庭という定義を取り戻さない限り、何をやっても良くはならない。元々、保守的な気質を持った国ですから、そのあたりのことは、実は、わかっている。

イスラエルでは、子育てを仕組みが担ういう実験が、キブツという、大きな枠組みを使って終わっていました。学者は、ビデオを使いながら、政府に管理され、保育が仕事や作業のようになることで保育者の質がどう低下していくか、保育所での虐待や放置の現状を映像と数字を使って報告していました。

泣いている子どもに声をかけるまで、親なら平均何秒、保育者なら平均何秒。子どもの喧嘩を仲裁するまでに、親なら何秒、保育者なら何秒、という具合です。人間の本能と人工的な仕組みを比べ、その差が子どもの発達にどう作用するか、というのがテーマです。しかし、エビデンスということからすれば憶測の領域にとどまっていて、主として育てる側の変化に発表は集中しました。「子育てと保育の関係」については、エビデンスが揃ってからでは遅い。それが宿命です。だからこそ、日常的に子どもの未来を想像しながら自分の感性を磨くこと、それが子育てであって、そのために人間は喋れない0歳児を与えられたことに気づかなければいけない。

文化人類学的に言えば、「祈り」の世界に、「絆」を導くために、赤ん坊を「授かる」わけです。

アメリカのサラ・フリードマン博士だけ女性だったのですが、私が基調講演でアメリカの現状を批判したので不愉快な思いをしていたと思います。六割の家庭に大人の男性がおらず、公立の小学校を使って父親像を教えようという首都ワシントンDCのことを話し、「正常な人間社会ではない」と言ってしまいましたから。夕食時も目をあわせようとしません。

基調講演、パネルディスカッションのあと、夕食をはさんで、実は、そのあと深夜まで討論は続いたのです。

本当は「もう英語でしゃべるのは疲れましたね」と仁志田先生と二人でホテルのバーへ逃げたのですが、なぜか、みなさんがそこへやってきた。それから本気の、面白い討論会になった。英語で、通訳なしで。

私は、長時間保育で問題行動を起こす子どもが増える、という風に考えるべきではなく、長時間保育で親側に親心が育つ機会が減り、それが子どもの問題行動につながる、と考えるべきで、子育ての問題を「子どもが親を育てる。とくに絶対的弱者である乳幼児が人間から善性を引き出す」と考えないと根本的なところで間違う、という視点を繰り返し話しました。

彼らの履歴書を読んでいた私は、この人たちは国際会議に出るくらいの専門家、私の話をヒントに実際に国に帰って行動を起こしてくれるかもしれない。そう思うと、力が入ります。

イギリスとイスラエルの学者が長時間保育の問題だけではなく、保育の質、保育者は親に代わることはできない、というところまでつっこんでくるのに対し、フリードマン博士は、女性の社会進出、「自立」に不可欠な保育施設の存在を守る姿勢が鮮明でした。「機会の平等」(イコール・オポチュニティー)という点で、男女間に不公平なことが多すぎたのです。その反動が、「社会」の定義を経済活動に偏らせていったのですが、競争に没頭するあまり、役割分担の否定まで行ってしまうと、子育てが宙に浮く。それが「子ども優先」という人間性の喪失、感性と絆の希薄化につながる、と私は、数字を上げて説明しました。すると、深夜になるころ、サラは、ずいぶん私の話に理解を表明してくれたのです。

私は、ふと、「あなたは本当にアメリカ人ですか?」と聞きました。

すると彼女は、「二〇歳までイスラエルで育ったんです。それから三〇年間アメリカに住んでいます」と答えました。

女性が乳児を預け経済競争に参加することによって社会から失われるものがある、人類学的に言えば当たり前のことです。しかし、子育てを避けること、自分の人生をその束縛から、(ある程度)切り離すことが幸せであり、権利だと思い始めると社会からモラルや秩序が失われていく。そのことから目をそらすことは責任回避です、と言い切る私の視点は、純粋にアメリカ育ちの女性、しかも競争社会における勝ち組である「学者」という立場まで登りつめた女性にとって受け入れられるものではない。それがわかっていながら、その場で私が強引に、しかも短時間に私の通常の論法で話をすすめたのには、イギリスとイスラエルの学者の共感があったからかもしれません。

二人とも私の本を英訳すべきこと、出版社を紹介してもいい、共著を考えたらいいのではないか、とすすめてくれました。

保育園という仕組みが普及する手前で、「社会で子育て」の入り口に立っているインドネシアとネパールの学者が、「欧米なんか、絶対に真似してはいけない」という私の話を、時々、確認しながら、非常に興味深そうに聞いています。何しろ、先進国であるイギリスとイスラエルの学者は大いに頷きますし、サラも、そこまで過激に言わないでよ、という表情を見せながらも、笑顔になっています。

私が、「子育てと祈りの関係」について話し出すと、ネパールの学者は、目を輝かせて加わってくる。ネパールもインドネシアも、まだ宗教が、「学問」より上位にあって、子育てという「信心」が、「教育」に呑み込まれていないのです。いい会議になりました。

 

赤ん坊を「泣きやませる」ことは、人間の存続にかかわる重大事です。原始時代、それは肉食動物から身を守ることだったはず。生き残るために、道は用意された。

赤ん坊は、泣きやむことによって「信じること」を学ぶ。それが「部族」としての絆に結びつく、その原点に回帰して考える時なのだと思います。

以前、文部科学省と東京都が主催した青少年健全育成地域フォーラムにパネリストによばれたことがありますが、その集まりのタイトルは「子どもの健全育成と大人の役割」というものでした。このタイトルが「大人の健全育成と子どもの役割」とされたときに、現代社会が抱える様ざまな問題の糸口が見つかるのです。

保育園の園長先生が嘆いていました。「仕事をするために保育園に子どもを八時間以上も預けておいて、小学校に入ってから子どもが心配だからそろそろ仕事をやめようか、という母親がいるんです。本末転倒。小学校に入るまでが大切なのに」。

学校が普及した社会で、〇歳から五歳までの子どもたちの役割を軽く考えるようになっている。その存在に感謝していない。黙って、この人たちを抱いたり、見つめたりすることの重要性を忘れている。

国際会議の後の、私的なディスカッションで、学問がそうであってはならない、と私は必死に専門家たちに説明したのです。

温厚な仁志田先生が、横で、ニコニコ笑っていました。

今、考えると、ケストナーの児童文学「動物会議」のようですね。

 

(ブログ「シャクティ日記」:http://kazu-matsui.jp/diary2/ に、書いたものをまとめています。タイトルも付いています。ぜひ、参考にしてください。重複する内容が多いですが、初めてその文章を読んだ人にも、経済施策と家庭崩壊の関連性、それがどう保育や教育に影響を及ぼすか、全体像を理解してもらいたいために、そうなっています。コピー、ペースト、リンク、なんでも結構です、拡散していただけると助かります。

「ママがいい!」、にわかりやすくまとめています。ぜひ、推薦してください。

親の1日保育士体験をやっている公立園の園長先生が嬉しそうに報告してくれました。一人の女の子が、「お誕生日プレゼントいらないから、来て」と母親にお願いしたそうです。自分もお母さんを自慢したい。

園長先生にとってその言葉は、自分たちが「いい保育」をしている、という証しでもありました。部族の勲章です。

講演依頼は、matsuikazu6@gmail.comまでどうぞ。園で、親心のビオトープを作るやり方、など説明します。今週は、山口県で、子育て支援センター連絡会で講演します。保育園が主体になっている会ですが、それだけにとても期待しています。)

その保育園、売ってください

「こんなチラシが幼稚園の郵便受けに入ってたんです」と、理事長先生がメールに写真を添付して送ってくれました。

イラスト付きのチラシに、オレンジ色の見出しで、「その保育園、売ってください」とある。「過去には実際にこんな価格で売却できました!」と、値段が園種別に書いてあります。

株式讓渡

園種別      年間売上        諷渡偭格

東京都認証保育園 約1億3000万円     1億円

小規模認可保育所 約6000万円      3500万円

(他)

そして、

今すぐ売却は考えていないけれど、現在保育園かどのくらいの価値なのかを知りたい方

保育園の売却を考えているが他で査定してもらったら、査定金額が低くて諦めようかと思っている方

保育園経営が上手くいかずに閉園を考えている方

今すぐに○○○○へご相談下さい!どこよりも高く無料査定いたします

という言葉が並んでいる。

理事長先生は、「幼稚園」の郵便箱にこんなチラシが投げ込まれること、その無頓着であからさまな内容に驚き、違和感を感じているのです。

私も感じるこの「違和感」。

幼稚園、保育園の中身、価値は保育する人たちの人間性と人間関係であって、それは単純に売買、譲渡できるものではない。年月を掛けて築かれた信頼関係、子どもと過ごす伝統がどう保たれているか、それが親や子どもたちにとっての園の実態なのです。それをこの業者は、どうやって「無料査定」するのか。

「保育」という言葉で括られても、実際は「子育て」です。できる限り、家族とか「部族」のようでなければ、仕組みがサービスになっては諸刃の剣となる。そう思っている私には、保育者たちが「市場」に晒されている様子が、悲しくもあり、腹立たしくもあるのです。

国が保育という「市場」を拡大するために、保育はパートで繋いでもいい、という規制緩和を「短時間勤務の保育士の活躍促進」という馬鹿げた言葉を使って「奨励」したあたりから、保育界のイメージ崩壊の流れは決定的になってしまった。もっと真剣に、魂の次元で言えば、保育園や幼稚園は、卒園児とその保護者たちの記憶の中に立ち続けるもの、心の故郷(ふるさと)なのです。売り買いできるものではない。その基本を知らない人々が保育園で利益を得ようとする。

こんなチラシが投げ込まれることに、違和感を感じなくなった時、私たちは何を失っていくのか。

「親心のビオトープ」になってほしい、この国を建て直すには、もうそれしか方法はありません、と私が願う保育界とは別の次元に住んでいる人たちが、サービス産業の名のもとに入り込んでいる。これでは、子どもたちを守れない。

こういう配慮に欠けた、学校も含めモラルや秩序が欠けていく道筋を作り出したのが、「経済施策」として母子分離を進める、政府の制度設計です。

その中心に、「保育分野は、『制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になり得る分野』」(「日本再興戦略」:平成二十五年六月十四日閣議決定)という閣議決定がある。

「新市場」が聞いて呆れる。この人たちは、保育においては、「人材の心」が市場そのものだ、ということがわかっていない。

「儲け」ることに囚われた制度設計が、11時間保育を「標準」と名づけることで、保育指針や国連の子どもの権利条約にある、「子どもの最善の利益を優先する」という人類普遍の法則を根っこから壊していく。彼らの目指す「新市場」で起こりつつある「保育バブルの崩壊」は、不動産バブルや介護保険の時と違い家庭崩壊、児童虐待、学級崩壊に直結している。

「仕組みの危うい可能性」を理解していない政治家や学者たちが、新たな市場を作るために、「子ども未来戦略」(令和5年6月13日閣議決定)を立てる。

そこで、「キャリアや趣味など人生の幅を狭めることなく、夢を追いかけられる」ように、誰でもいつでも子どもを預けられることが「子育て安心」なのだ、と宣言する。

政府の言う(偽)「子育て安心」と、このチラシの狭間に、大人たちの思惑に振り回される「子どもたちの人生」がある。

この「罠」に、幼児の親たちが気づいてほしい。親のする「選択」が子どもの人生を左右する。「子ども真ん中」の背後に、子どもを可愛がる、という「古(いにしえ)のルール」から人々を遠ざける「意図」が潜んでいることに気づいてほしいのです。(「ママがいい!」、ぜひ読んでみて下さい。罠が仕掛けられた経緯、抜け出す方法が書いてあります。)

安い労働力を確保する「罠」の中で、利鞘を稼ごうとする人たちが、閣議決定に守られ合法的にこのチラシを配ることで、保育界の空気感と常識が変わっていく。投資目的の譲渡の過程で、数人の保育士が、その動機を見抜き去って行く。それが、児童養護施設、学童、特別支援学級を追い詰め、混迷と混沌に直結することなど彼らはまったく考えていない。誰かが儲ければいい、それが「いまの市場原理」です。そして、社会は意識の総合体なのです。

保育界に必要なのは、その安定性と信頼関係だった。

このチラシの宣伝文句にある、「保育園経営が上手くいかずに閉園を考えている方」がなぜこれほど早く現れたのか。

以前、保育バブルの始まりに、こんな宣伝がありました。(「ママがいい!」からの抜粋です。)

「保育園開業・集客完全マニュアル」

起業したい、独立したいというあなたの夢をかなえます。今ビッグチャンス到来の保育園開業マニュアルです。コンサルティング会社に依頼する百分の一の価格で開業ノウハウ全てが手にできます。

*独立・起業を考えているが、何から、どう始めたらよいかわからない。

*自己資金がなくてもできる起業を探したい。

*自分ひとりで始めるのは不安がいっぱいだ。

起業をしたいと思ったときがチャンスです。ネットビジネスも儲かるのでしょうが、やはり安定した収入は確保したいものです。しかし、単に「起業」と言っても、何をどう始めたらよいのか、どんな手順を踏んで、どんな書類を用意しなければならないのか、わからない方がほとんどです。

そこで、「保育園開業・集客完全マニュアル」をあなたにお届けいたします!今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方にも一からご理解いただけるようにわかりやすい手順が説明されています。「保育園開業・集客完全マニュアル」をお読みになった方は、そのほとんどが興味を持たれ、開業されたオーナー様も多くいらっしゃいます。勇気をもって新たな一歩を踏み出すお手伝いをさせていただければ本望です!〉

保育は、「何から、どう始めていいかわからない」人、「今まで保育園経営などにまったく興味のなかった方」、「不安でいっぱい」の人がマニュアルを読みながら始める仕事ではなかったはず。この宣伝を打った人たちは、「親としての自分の価値を感じる瞬間を、親たちから奪うことになる」という、長年乳児保育の広がりの中で親身な園長たちが持ち続けてきた葛藤など一瞬たりとも感じていないのだろう。(ここまで、「ママがいい!」から抜粋。)

こうした新市場、国の経済重視の規制緩和の隙間で、保育士による不適切な保育が次々と明るみに出る。その影に、子どもたちの一生を左右するPTSDや取り返しのつかない後天的愛着障害がある。近頃の学級崩壊を見ていれば容易に想像がつく。

そして、先日テレビのワイドショーのコメンテーターが、子育てについて、

「親ひとりでせいぜい2人の子どもの面倒をみる。だけど保育所だったら保育士1人で、何十人という子どもをみるわけですよ。子育てのコストは、そっちのほうが圧倒的に安い。預けることによって、フルタイムで働いたらお母さんの収入がドーンと増えるわけでしょ。個人にとっても国にとっても良い」「子育てに関しては全部社会がやる、と。税金で全部負担するというふうなことにいくのが、国にとっても絶対によい」と訴えた。

https://www.chunichi.co.jp/article/810741

『保育士1人で何十人の子をみる コストが安い』

保育は子育てなのです。繰り返しますが、結果や手法ではなく、双方向への「体験」です。コストパフォーマンスで考えるべきものではない。コストで考えれば、育てる側の人間性を育て、社会に絆を生み出すという幼児の存在意義が見えなくなる。ただでさえ、子ども優先という姿勢が置き去りにされ、それが学級崩壊や児童虐待の増加に現れているのです。

政府が「保育は成長産業」とか、誰でも預けられるのが、「子育て安心」などと馬鹿げたことを言っているから、保育園を売り買いする業者が現れ、子育てをコストパフォーマンスで計り、保育園で預かった方が効率的、と全国ネットの番組で言うコメンテーターが現れる。

(ブログ「シャクティ日記」:http://kazu-matsui.jp/diary2/ に、書いたものをまとめています。タイトルも付いています。ぜひ、参考にしてください。重複する内容が多いのですが、初めて文章を読んだ人にも、何が起こっているか、全体像を理解してもらいたいので、そうなっています。コピー、ペースト、リンク、なんでも結構です、拡散していただけると助かります。

一昨日、ある市の公立保育園の保育士たち百五十人に夜、講演しました。仕事が終わった後でしたが、すっかり目が覚めたように、聴いてくれました。まだ、正規が六割という市でしたし、あらゆる年齢層が居て、「20年前に私の講演を聞きました」と言う人がいたり、「1日保育士体験やっています。親たちに本当に評判がいいんです」と報告してくれる人たちがいて、勇気づけられ、嬉しかったです。「ママがいい!」すでに持っていて、サインを頼まれました。)